ねもころについて→ 私が歩いてきた道
私が歩いてきた道
-ねもころ暮らしが生まれるまで-
振り返ると、私は長い間、
「こうあるべき」
という価値観の中で生きてきました。
子どもの頃から、
やってみたいことや
思い描く未来がなかったわけではありません。
むしろ私は、
知らない世界にふれることが好きでした。
外へ出て、人と出会い、
自分とは違う考え方や価値観にふれる。
知らなかったことを知り、
新しいことを学ぶ。
自分を高めてくれる人やもの、
心を動かしてくれることに出会うと、
もっと知りたい。
もっとふれてみたい。
そんな気持ちが、いつもありました。
けれど、何かに向かおうとするたびに、
どこかに向かい風があるような
後ろから引っ張られているような
感覚もありました。
自分がやりたいと思うことを
いちばん身近な人に
「やってみたら」と応援してもらえない。
そのことに、
寂しさを感じることもありました。
だから、
大きく枠の外へ飛び出すようなことは
なかなかできませんでした。
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それでも
自分にできる範囲の中で
行ってみたい場所へ行き、
会いたい人に会い、
興味を持ったことを学ぶ。
ほんの小さなことでも
心が弾んだり、
毎日が少し楽しくなったりするものを
私はいつも探していたように思います。
それはきっと、
決められた枠の中にいながらも
自分の世界を少しずつ広げていくための
私なりの方法だったのだと思います。
今思えば私は、
自分らしくいられる場所を、
ずっと探していたのかもしれません。
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結婚してからも、
妻として、母として、
娘として、嫁として。
「こうあるべき」とされる役割の中で、
その時々に求められることを
一生懸命やってきました。
家族を大切にしたいという思いは、
もちろん私自身の中にもありました。
けれどその一方で、
自分がどうしたいかよりも
「こうするものだから」
「こうするべきだから」と
自分の気持ちとは別のところで
動いていたことも
少なくなかったように思います。
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そんな私が、
子育てをする中で
これだけは譲れないと
心に決めていたことがありました。
子どもたちには、
親や社会の「こうあるべき」を
押しつけるのではなく、
ひとりひとりの歩みを大切にし、
その子らしく生きてほしい。
そう願いながら、
子どもたちと向き合ってきました。
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家族と過ごす毎日は、
かけがえのない幸せな時間でした。
けれど、
思い描いていた通りにいかないことも
たくさんありました。
下の娘は、生まれて間もなく
病気があることがわかりました。
小さな身体で治療を重ねる娘を前に、
ただ元気に育ってほしい。
その願いを胸に、
家族でその時々を乗り越えてきました。
成長してからも
思いがけないところで立ち止まったり、
それまで歩いていた道から
別の道を選ばなければならないことがありました。
そんなとき、
「普通ならこう」
というものさしではなく、
今、この子にとって
何がいちばん大切なのだろう。
親として何ができるのだろう。
何度も悩み、考えながら、
そのときできることを
一緒に探してきました。
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そして娘自身も、
思い描いていた道とは
違う道を歩くことになりました。
そのときは、
立ち止まってしまったように
感じたこともありました。
けれど、そこから
自分の好きなことや大切にしたいことに出会い、
少しずつ、自分の道を歩き始めました。
今振り返ると
あのとき、道が変わったのではなく、
本当に歩む道へと
導かれていったのではないか。
私は、そんなふうに感じています。
思い描いていた通りに進むことだけが、
その人にとっての正しい道ではない。
立ち止まったことも
遠回りに見えたことも
あとになって振り返れば、
その人がその人らしく生きる場所へ
つながっていることがある。
娘が歩いてきた道は
そんなことを私に教えてくれました。
また、
思いどおりではなかったその時間こそが、
家族の絆を育て、
今の私をつくってくれた
ように思います。
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そして子どもたちから
私は教えてもらいました。
人生には、
一つの正解があるわけではないこと。
思い描いた道から外れたように見えても、
そこから始まる道があること。
ひとりひとりに、
その人らしい歩み方があり、
幸せの形も一つではないこと。
大切なのは、
決められた道を歩くことではなく、
その人が、その人らしく生きていくこと。
それは子どもたちに
ずっと願ってきたことであり、
家族との時間を通して
私自身が少しずつ学んできたことでもありました。
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植物のある暮らし
振り返ると、植物は
ずっと私の人生のそばにありました。
母が育てる花に囲まれて育ったこと。
会社員時代、
本の中で出会った
ハーブのある暮らしに心惹かれたこと。
結婚して小さな庭を持ち、
そこに植物を植えたこと。
本の中で憧れていた世界が、
少しずつ自分の暮らしになっていきました。
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家族を支える毎日の中で
私自身を支えてくれたのも植物でした。
ハーブティーを飲み、
庭に咲く花を眺め、
香りにほっと心をゆるめる。
植物にふれる時間は、
忙しい毎日の中で
自分自身に戻るための
大切な時間でもありました。
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最初から、
何かを教えたいと思っていたわけではありません。
ただ、毎日のしんどさを少し和らげ、
また明日を頑張る力をもらう。
植物は、
そんなふうに私のそばにいてくれました。
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暮らしが少し落ち着いた頃、
「自分のための時間がほしい」
と思うようになりました。
夫に子どもたちをお願いして、
月に一度、ハーブ教室へ通い始めました。
庭で育てているハーブを
本で読むだけではなく実際に使い、
暮らしの中で活かすことを
もっと知りたかったからです。
学びを重ねるうちに、
植物のある暮らしは
私の毎日を少しずつ変えてくれました。
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マンネリに感じていた家事が楽しくなり、
家族の体調に合わせて
ハーブティーを淹れたり、
小さな手当てをしたり。
いつもの料理にハーブを添えるだけで、
こんなにもおいしくなることに
心が弾みました。
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育てたものを暮らしの中で使い、
その恵みを家族と一緒に味わう。
そんな日々の中で見つけた
小さな喜びやわくわくを、
周りの人にも、おすそわけしたい。
そう思うようになりました。
ハーブを学びながら、
小さな庭で植物を育て、
暮らしの中で使う。
そんな毎日を五年ほど重ねた頃、
私は小さなハーブ教室を始めました。
「ハーブ教室 ねもころ暮らし」
の始まりです。
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けれど、私にとって植物は
何かを学んだり、教えたりするためのものではなく、
そのずっと前から、
家族と過ごす日々の暮らしの中にあるものでした。
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赤ちゃんの頃、
鼻が詰まって苦しそうだった娘が
やさしい香りの中で
安心したように眠りについた夜。
なんだか口数が少ない日に、
娘の手をやさしくマッサージしていると
ぽつりぽつりと
学校での出来事を話してくれたこと。
風邪気味の日には、
「温まるよ。元気になあれ。」
そんな思いを込めて淹れた
一杯のカモミールミルク。
試験の日の朝には
その日の娘の気持ちに合わせて香りを選び、
送り出したこともありました。
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そして今。
大人になり、
離れて暮らす上の娘が帰ってくると、
「何が食べたい?」
と聞く私に、
「ママっぽいご飯が食べたい。」
と言います。
特別なごちそうではなく、
庭のハーブを使った、いつもの食卓。
暮らしの中で大切にしてきたものが、
娘たちにも自然とつながっていることを
感じます。
化粧水やクレンジングは自分でつくり、
私のつくる石けんがなくなると
「送ってね」と連絡がきます。
そんな何気ないことも
私には少し嬉しかったりします。
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晩年の父とも、
植物とともに過ごす時間がありました。
庭のハーブを摘んでいき、
その日の体調に合わせた香りで
足湯や足のトリートメントをする。
父の好きな柑橘の香りを選ぶことが
多かったです。
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父の身体に
たくさん触れながら、
たくさん話をしました。
今日は足がむくんでいるな。
今日は少し元気がないかな。
触れることで気づく
小さな変化もありました。
そして、話をする中で、
それまで知らなかった父の人生を知り、
父という人を
少しずつ理解していったように思います。
仕事一筋だった父と、
こんなにもゆっくりと
一緒に過ごした時間は、
植物と香りがあったからこそ生まれた、
私にとってかけがえのない時間でした。
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誰かの正解から、自分の人生へ
教室を始めてからも
私は学び続け、
たくさんの人と出会ってきました。
尊敬する人から学び、
自分一人では見ることのできなかった世界を知り、
背中を押してもらったこともあります。
新しいことを知りたい。
もっと学びたい。
もっと自分の世界を広げたい。
子どもの頃から私の中にあったその気持ちは、
大人になっても変わりませんでした。
そこから受け取ったものはたくさんあり、
その一つひとつが
今の私につながっています。
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そして、学びを重ねる中で、
自分が大切にしたいことも
少しずつ見えてくるようになりました。
誰かの言葉を信じることと、
それを自分の正解にすることは、
同じではない。
学んできたことを大切にしながら、
今の自分が感じていることを
大切にしていきたい。
そんなふうに思うようになりました。
そして少しずつ、
自分が本当に大切にしたいことを
自分の形にしていこうと
新しい一歩を踏み出しました。
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それから一年ほど経った頃、
父が亡くなりました。
父を見送り、初盆を終えた頃、
母とゆっくり話をする時間がありました。
母と話しているうちに、
子どもながらに見ていたこと、
なんとなく感じていたこと。
それまでばらばらだったものが
ひとつひとつつながって、
「ああ、そういうことだったのか」と、
母がこれまで大切にしてきた考え方も
母自身の人生の中から生まれてきたものなのだと
改めて思いました。
母はよく、
「幸せは誰にでも平等に、一杯の升の分しかない」
というようなことを言っていました。
目立たず、周りとの調和を大切にしながら、
与えられた場所の中で
穏やかに暮らしていくこと。
それが母にとって、
自分や家族を守り、
幸せに生きていくための
ひとつの答えだったのだと思います。
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その話を聞いたとき、
長い間わからなかったものが
少しだけ見えたような気がしました。
何かに向かおうとするたびに、
後ろから引っ張られるような感覚。
「やってみたい」と前へ進もうとすると、
「やめておいた方がいい」と引き戻される。
自分がやりたいと思うことを
いちばん身近な人に
「やってみたら」と応援してもらえない。
どうしていつもそうなんだろう。
そんなもどかしさや悔しさを、
私はずっと、胸の中に抱えてきました。
けれど少なくとも母の中では、
私を守ろうとする気持ちから
生まれていたものだったと、
その時はじめて理解しました。
そう思うと、
これまでとは少し違うところから
母を見ることができました。
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でもそれは、
母が、自分の人生から見つけた答え。
母には母の人生があり、
そこから生まれた価値観がある。
それを否定する必要はない。
でも、
その答えの中で、私まで生き続けなくてもいい。
そう気づいたとき、
長い間、自分の中にあったものが
少しずつほどけていきました。
誰かにわかってもらうことを
求め続けなくてもいい。
誰かの考える幸せや、
誰かが示す正解に
自分を合わせなくてもいい。
そう思えたとき、
長い間握りしめていたものを
ようやく手放すことができました。
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そして、ふと気づきました。
それは、子どもたちにはずっと
願ってきたことでした。
人と比べなくていい。
誰かが決めた道でなくていい。
あなたは、あなたの道を歩いていい。
そう願いながら、
子どもたちを育ててきました。
けれど私は、
同じことを、
自分自身には許していなかったのだと思います。
もちろん、
そう気づいたからといって、
何もかも自由になるわけではありません。
それぞれに置かれた場所があり、
簡単には変えられないこともあります。
それでも、
今いる場所で
自分が大切だと思うことを
大切にして生きていく。
私も、私の人生を歩いていい。
.
ようやく、
そう思えるようになりました。
.
